歴史が面白い71

令和2年8月24日と専門家インタビュー

  <8月24日>

夏レジャー「近場」「職場」。今夏のレジャー消費が例年とは異なる様相を見せている。海外などの遠方への旅行に代わり、都市部から近いホテルがにぎわった。社員が働く場として企業が海辺の旅館を活用する例もある。観光需要の落ち込みが長引くことを前提に、新たな集客競争が始まっている。

日本旅行によると、7~8月の夏のツアー受注は例年の7~8割減だった。逆風下でもお客を集めたのが知名度のある高級ホテルだ。働き方改革としてワーケーションを取り入れる企業も出てきた。(日本経済新聞8月25日)

 

コロナ・インフル 混乱懸念新型コロナウイルスの検査体制に新たな不安が生じている。秋冬はインフルエンザの流行で発熱患者の続出が見込まれるが、コロナかインフルかを区別するために双方の検査ができる診療所などを増やすため、手続きの簡素化や財政支援を行う方針だが、実効性は不透明だ。(同)

 

中小資本支援そろり始動商工組合中央金庫などの政府系金融機関で、新型コロナウイルスの影響を受けた中小企業に対する資本性の劣後ローンの受付が8月から始まった。財務体質が悪化した企業にとって助けになる一方、闇雲に増やすと貸倒リスクを広げることになる。手続きは重たく、本番は年末にかけてとの見方が多い。(同)

 

スパコン富嶽」で模擬実験理化学研究所は24日、スーパーコンピューター富嶽」を使い、マスクによる飛沫の拡散防止効果などを計算した結果を公表した。不織布、ポリエステル、綿を使ったマスクの防止効果は不織布が最も高かったが、他のマスクでも約8割の飛沫を防げ、コロナ対策に有効だとしている。(同)

 

イベント制限を延長。政府は24日、新型コロナウイルスの感染者の高止まりを踏まえ、イベントの参加人数の制限を継続すると決めた。8月末で5千人の上限を撤廃する予定だったが、9月末まで1カ月延長する。(同)

 

指定感染症の扱い 議論へ。政府の分科会は24日、感染症法の「2類相当」としている新型コロナウイルス感染症の現在の位置づけが妥当かどうか、議論を始めることで合意した。2類に指定されていると、入院勧告や就業制限などができる。入院治療が原則で、医療費は公費で負担される。だが、新型コロナウイルスは軽症や無症状の人が多いことがわかってきた。実際には入院治療だけでなく、ホテルなどの宿泊施設や自宅での療養も始まっている。2類相当の対応が必要なのか疑問視する声も出ていた。分かっていないことも多く、対応の見直しには慎重な見方もある。(朝日新聞8月25日)

 

<<新型コロナ インタビュー (朝日新聞(7月11日))>>

 

西村秀一氏 専門家は確率を語れ

国立病院機構仙台医療センター ウイルスセンター長 西村秀一氏

 

「実態と合わない対応が続いていることを危惧しています。亡くなった方を遺族にも会わせずに火葬したり、学校で毎日机やボールを消毒したり、おかしなことだらけです。」

「まず、強調したいのは、病院と一般社会は分けて考えるべきだという点です。ウイルスが現に存在して厳しい感染管理が必要な病院と一般社会では、ウイルスに遭遇する確率が全然違う。厚労省が6月に実施した抗体検査では、東京の保有率は0.10%でした。そこから推測すれば、街中そこかしこでウイルスに遭うようなことはありません。

いま感染者が出ている多くは、限られた地域の特定の場所の関連です。ウイルスが街にまん延しているわけじゃない。」

 

「なぜ実態と合わない対策が続いているかというと、突き詰めて考えると専門家の責任が大きいのです。接触リスクが強調されていますが、ウイルスと細菌の違いが軽視されています。細菌は条件が整えば自己増殖して一般環境で長く残りますが、ウイルスは感染者の体外に出て寄生する細胞が無くなると、少し時間がたてば活性を失う。本当はウイルスは細菌より接触感染のリスクはずっと低いのです。なんでもアルコール消毒する必要はありません。

「可能性がある」と語って人々に対策を求める専門家がメディアで散見されますが、キャスターや記者は「それなら感染する確率はどれくらいあるか?」と問わなくてはいけない。専門家に課せられているのはリスク評価です。リスクがあるかないかという定性的な話をするのではなく、どれくらいあるのか定量的に評価しなければなりません。

たとえば、感染者のせきで、1万個のウイルスが飛んだと仮定しても、多くは空気の流れに乗って散らばり、机などに落ちるのは1センチ四方あたり数個。では、それが手に付く数は?鼻に入る確率は?時間経過でもウイルスは減る。こう突き詰めるのがリスク評価なのです。」

 

「ゼロリスクを求めれば「念のため」と対策もどんどん大きくなる。しかし、その下で数多くの弊害が出てきます。人と人の関わりが無くなったり、差別してしまったり、職を失い、ウイルスでなく、その対策で命を落とす社会的弱者もいる。」

「政府の専門家会議でリスク評価の議論に偏りが生じた懸念があります。メディアも誤ったメッセージを社会に広めてしまった。たとえば、接触感染のリスク評価の議論はどれだけ適正に行われたかという点。3密回避が発信されたのはよかったのですが、空気中に浮遊するウイルスのリスクが十分に検討されたのかという点も疑問です。密室など条件は限られるものの、ウイルスは、呼吸で体内に達する方が物を介するより、はるかに少ない数で感染する特性を持ちます。」

 

「専門家会議でどんな議論をして提言をまとめ、議論されなかったことは何な。異論は出なかったのか。施策の妥当性を絶えず検証し、政府に都合のいいアリバイ作りに利用されないためにも、記録を残して、できるだけ早く公表する必要があります。また今回、政府は一方的に専門家会議を廃止しましたが、政治と専門家の間に適切な距離があったのかも検証が必要です」

 

ー「史上最悪のインフルエンザ」、「豚インフルエンザ事件と政策決断」を翻訳されていますが。

「どちらもCDC時代の上司から紹介されたもので、前者は、パンデミックに備える重要性を記したもの。後者は、新型コロナウイルスの流行想定が専門家から政治家への伝言ゲームでつりあがり、政治決断で突如実施されたワクチン大規模接種が生んだ不都合を描いています。結局パンデミックは起きず、ワクチンの副作用と公衆衛生行政への不信だけ残ってしまった」

パンデミック対策はアクセルを踏んだら、ブレーキも踏まなければならない。双方のバランスこそが必要だと学びました。現在まさに起きている、意思決定のプロセスを途中で冷静に検証し場合によっては止めるメカニズムの欠如、そして「専門家が確率を語らない」ことも、歴史的に繰り返されてきたのだと分かりました。」

 

「感染リスクは環境や条件によって異なります。一律の対策はあり得ません。2月の一斉休校要請もその後の緊急事態宣言も、地域ごとにやるべきだった。分かってきた知見から、高齢者や持病のある人と重症化事例の少ない子供で対応は違っていいはずです。一つ一つのリスク評価をする際、異なる科学的見解も踏まえて検討する。これもバランスのとり方です。危機と感じる人が多い時こそ「一色」にならないようにしなくてはならない。これからは平常時から専門分野を超えて議論する場があったらいい」

「最終的には、公衆衛生だけでなく、教育、経済、社会活動のバランスをとるのは為政者の役割です。為政者はどんな決断をしても非難は免れない孤独な立場だと腹をくくらなきゃならない。専門家が確率を示すことが重要なのは、彼らが全体を適正に勘案できるようにするためです」