歴史が面白い122

令和2年10月14日と「感染症の日本史」

  <10月14日>

政府債務、世界GDP匹敵IMFは14日公表した報告書で、2020年の世界全体の政府債務が世界のGDPにほぼ匹敵する規模になると予測した。GDP比で過去最大の98.7%となる。21年の先進国の政府債務はGDP比125%と予測した。第2次大戦直後の1946年(124%)を超えて過去最大となる。33年の大恐慌(80%)や2009年の金融危機直後(89%)を大きく上回る。国別では日本が20年に266%、21年は264%と突出する。(日本経済新聞10月15日)

 

ネット通販 裾野広がる。インターネットを通じた買い物が急速に普及している。新型コロナウイルスを機に初めてネットで買い物をする人が増え、利用世帯は5割に達した。世帯主が70代以上の高齢者の世帯でも利用率は2割を超える。品目別では食料品や日用品だけでなく、家具や家電をネットで買う人も増えている。8月調査ではネットでの「家電」の支出額が前年同月比63%増えた。(同)

 

満員イベント球場で検証へ。満員に近い横浜スタジオのプロ野球の試合で、新型コロナウイルス感染症対策の検証実験を行う方針を神奈川県などが固めた。専門家の了承を得たうえで、10月下旬にも実施する。

球場の定員約3万4千人に対し、8割程度から可能な限り満員に近い人数を入れたい考えだ。NECやLINE、ディー・エヌ・エーなども参加する。高精度カメラを複数置いて、球場内の人の動きや密度、マスクの着用率などを把握、スーパーコンピューター「富岳」でシミュレーションした結果と組み合わせて、マスクを着用した状態で観客が大声を出したり、飲食したりした場合に、唾液などのしぶき(飛沫)が広がるのかなどを調べる。(同)

 

(コメント)

当日の出来事について特段コメントすることがないので、文藝春秋2020年5月から連載 磯田道史感染症の日本史」から抜粋する。

 

「今回、参考になるのが、恩師の故・速水融(「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」)と石弘之氏(「感染症の世界史」)の本です。

・・・・・

そもそも「コロナウイルスの歴史」はいつ始まったのか。石弘之氏によれば、6つのウイルスの遺伝子を解析すると、ヒト型コロナウイルスが初めて出現したのは、およそ紀元前8000年頃という説が有力です。その時代、何が起きたのか。「農耕革命」と「定住化」が起こり、西アジアで、羊、山羊、豚の「飼育」が始まりました。つまり、「ヒトと動物との濃密な接触」から出現したウイルスで、この感染症は、「牧畜」の開始とともに始まったのです。

・・・・・・

中世ヨーロッパでのペストの大流行も、背景に「中世農業革命」がありました。製鉄が盛んになって農具や水車が普及し、食料が充実したので、英国、ドイツ、フランスを中心に人口が急増しました。食料が余れば、都市が大きくなります。都市にはネズミのえさになるフンやゴミがいっぱい。乱開発で天敵のタカ・キツネ・狼も減っているのですから、ネズミが人間の近くで大発生し、ペストを媒介するのは、理の当然でした。

・・・・・・・

日本では、石弘之氏は「1857年には、ペリー艦隊の一隻のミシシッピ号にコレラに感染した乗組員がいたため、長崎に寄港したときにコレラが発生した。8月には江戸に飛び火して3万人とも26万人ともいわれる死者が出た。その後3年間にわたって流行した。その恨みは黒船や異国人に向けられ、開国が感染症を招いたとして攘夷思想が高まる一因になった」と述べています。

・・・・・・・

今から100年前の1918~1920年、全世界で大流行した「スペイン風邪」が日本をも襲いました。今回の新型コロナウイルスを考える上で、スペイン風邪は最も重要な参考例になるでしょう。速水先生が各種統計を整理したところ、‥日本本土だけで45万人、樺太・朝鮮・台湾など外地を含めると74万人もの死者が出ているのです。スペイン風邪の波は「三波」あったことです。速水先生は「第一波は1918年5月から7月、『春の前触れ』。第二波は1918年10月から19年5月、『前流行』。第三波は1919年12月から20年5月、『後流行』。

『前流行』では、死亡率は相対的に低かったが、多数の罹患者が出たので、死者数は多い。『後流行』では罹患者は少なかったが、その5%が死亡した。インフルエンザは決して1年で終わらず、流行を繰り返し、その内容を変えている」と述べています。

・・・・・・・

当時の新聞記事を見ると、政府もメディアも早期から「特別な伝染病である」とは警告してはおらず、これが感染と被害の拡大につながった可能性があります。これはスペイン風邪から得られる大きな教訓です。・・相撲部屋で感染が広がったのですが、相撲に限らす、集会やイベントの制限は、ほぼ何もなされていません。この点の政府の無策を与謝野晶子は批判しています。」