歴史が面白い63

令和2年8月15日と官邸 非常事態「1」

  <8月15日>

国内感染 新たに1219人。東京都では385人。300人を超えるのは2日連続。お盆休み終盤の15日、各交通機関とも激しい混雑はなく、ターミナル駅の人出も少なかった。この日、東海道新幹線の自由席乗車率は高くとも30%、東北は40%。中央自動車道東名高速道路は夕方、上りで20キロ以上の渋滞があった。(日本経済新聞8月16日)

 

中国ワクチン 国主導で台頭新型コロナウイルスのワクチン開発で中国の存在感が高まっている。世界で治験段階にある29のうち、中国が9つのワクチン製品候補の臨床試験を進めており、うち5つが最終段階の「第3相」に入った。世界で最終段階に入っているのは7つで中国が最多だ。

ワクチンで中国が強みを持つのが不活化ワクチンだ。不活化ワクチンは昔からあり、有効性や安全性が一定程度証明されている。ただ、鶏卵や動物細胞を使ってウイルスを培養するため人手がかかり効率が悪い。欧米医薬メーカーは手を引く一方で、中国勢は人海戦術で不活化技術を深掘りしてきた。もっとも、中国ワクチンは海外でほとんど流通しておらず、実力は不明だ。有効性や副作用の情報はほとんど公開されておらず、治験をクリアしても「安全性で不安が残る」(国内の感染学者) (同)

 

 

<<コロナの時代 (朝日新聞 7月12日~18日)>>

コロナ禍という歴史的な非常事態に直面した首相官邸の6カ月を、6回にわたり検証する。

 

  <官邸 非常事態「1」>

水際対策をめぐる国内外の主な動き

2019年12月23日  安倍首相、中国で習近平国家主席と会談

2020年 1月24日  外務省、中国湖北省への渡航中止を勧告

        30日  WHO、「緊急事態」を宣言

        31日  米国、中国からの入国拒否を発表

             首相、中国湖北省からの入国拒否を表明

      2月12日  首相、中国浙江省からの入国拒否を表明

        26日  首相、韓国大邸市などからの入国拒否を表明

      3月 5日  日中両政府、習主席の国賓訪日延期を発表

             首相、中韓全土からの入国制限を表明

        10日  首相、イタリア5州などからの入国拒否を表明

        11日  米国、欧州26カ国からの入国停止を発表

        17日  欧州連合(EU)、第三国からの入域規制を決定

        26日  首相、欧州21カ国などからの入国拒否を表明

      4月 1日  首相、49か国・地域からの入国拒否を表明

 

昨年12月23日、中国・北京の人民大会堂。安倍首相は習近平国家主席と会談「来春の習主席の国賓訪日を極めて重視している」と語りかけた。実現すれば12年ぶりとなる中国国家主席国賓訪日を、安倍政権は今年最大の外交成果と見込んでいた。

 

年が明け、中国政府は新型コロナウイルスのヒトからヒトへの感染を認め、1月23日武漢市の都市封鎖に踏み切った。日本政府は在留邦人を航空機で帰国させる検討に入ったが、入国を制限して海外からのウイルス流入を防ぐ「水際対策」の議論は本格化していなかった。「中国からの観光客は一時ストップするべき・・」と首相と親しい作家の百田尚樹氏は1月22日のツイッターで訴えた。しかし、首相が31日に表明したのは湖北省からの入国拒否。2月13日には対象を浙江省にも広げたが、自民党の対策本部会合でも「中国全土からの入国拒否」を求める声が次第に高まっていった。

 

3月5日、日中両政府は習近平国家主席の訪日延期を発表。3時間後足枷がとれたように、首相は「積極果断な措置を講じる」と中韓全土からの入国制限を表明した。「このタイミングしかなかった。勇ましいことを藺生人は多いが、国賓訪日延期の発表前は難しかった」政権幹部は漏らした。

 

水際対策「強制」か「要請」かで官邸と厚労省で対立があった。3月5日首相が中韓へのに入国制限を表明する7時間前。官邸の入国制限案には、検疫法を根拠に入国者全員を2週間、ホテルなどに確実に留め置くことを追求したという。厚労省はこれに強く反対した。そもそも厚労省には、検疫法に基づいて無症状の人まで留め置くのは、法解釈上、強引すぎるという異論もあった。予定時間が迫る中、最後は当初案を修正し、2週間の待機「要請」などとすることで決着した。少しでも強制力のある措置にみせたい官邸幹部は「厚労省設置法に基づく行政指導だ」と苦しい説明をした。翌日の記者会見で加藤厚労相は問われて「要請です」と即答した。官邸では菅官房長官は「厚労省が所管する関連法規に基づく措置を想定している」と述べ、、両者のズレが露呈した。

 

政府が中韓からの入国制限を実施したのは3月9日だった。後でわかったことだが、そのころ日本国内では、中韓ではなく、米国や欧州から帰国する日本人らを介して感染が広がり始めたとみられる。政府は3月19日に欧州のほぼ全域、26日に米国からの入国制限を始めるが、入国者への措置はあくまで強制力のない待機要請など。外国人の入国を原則拒否し、日本人の帰国者らにPCR検査を課す入国拒否はさらに1週間程度遅れた。すでにウイルスのまん延は進んでおり、4月7日の緊急事態宣言に至った。

政府関係者は「その後の感染拡大を考えれば、もっと早く閉めておけばよかった。だが当時は想像もつかなかったし、現実にも難しかった」と言う。その一因はPCR検査能力にある。3月27日に欧州21カ国とイラン、4月3日に米中韓など49カ国・地域からの入国拒否に踏み切る前、政府は空港近くの医療機関自衛隊の協力も得て「1日4千件」の検査態勢を確保。帰国者が検査能力を超えないよう調整に追われた。

平時に戻った現在、水際対策の検査能力は1日1千件程度に過ぎない。政府はそれを8月に「4千件」まで戻し、9月にはPCRセンターの設置で「1万件」へと拡大する構想を描く。見据えているのは出入国緩和の拡大、そして来夏に延期された東京五輪パラリンピックの実現だ。