歴史が面白い4の2

前回の続きを記していこう。

 

 1月24日 中国の春節がはじまる。今年はコロナで2月2日まで延長された。

武漢では専門の臨時病院建設が開始された。日本では、国内での2人目の患者が出た。

武漢からの渡航者だ。政府は同日、湖北省への渡航中止を勧告している。また、国内の百貨店大手5社は希望者にマスク使用を認めた。

 

 1月25日 春節の中、中国共産党の中央政治局常務委員会は緊急会議を開いた。習主席をはじめ中国当局者はコロナとの戦いを戦時モードにする。北京で移動制限が出され、故宮博物院や上海の豫園といった観光名所は次々と閉鎖されていく。

また、中国当局の隠蔽体質について、中国の有力誌「中国新聞週刊」(1月25日)は、匿名の医師の話を伝えた。武漢協和医院の医師が取材に応じて、「流行が始まったばかりの時期、武漢市の方針は消極的だった。」と指摘し、病院側から「許可を得ずに公共の場で感染状況を語ったり、メディアの取材を受けたりしてはならない」と通知されていたと明らかにした。

こうした隠蔽に対しては、命がけで危険を警告し、しかもコロナで命を落とした武漢の医師によって白日のもとにさらされた。2月7日に死亡した李文亮氏である。李氏について最もまとまった報道は、中国の調査報道メディア「財新」編集部「新型肺炎武漢で真っ先に告発した医師の悲運」(「東洋経済オンライン」2月7日掲載)である。

そこでの経緯はこうだ。李氏は19年12月30日、ソーシャルメディアのグループチャットで情報を発信。「華南海鮮市場で7名がSARSに罹り、我々の病院の救急科に隔離されている」同日、武漢市衛生健康委員会は「原因不明の肺炎に対する適切な治療についての緊急通知」をネット上に発表した。

「いかなる機関及び個人も、許可を得ずみだりに治療情報を外部に発信してはならない」。李氏による注意喚起のスクリーンショット(画面の画像ファイルでの保存)がインターネット上に投稿される。李氏はすぐに病院の監察科による事情聴取を受け、20年1月3日には管轄区域の派出所に出向き゛違法問題゛に対する「訓戒初」に署名した。似た疾患について警告した。その後同氏はデマを流したとして警察当局から訓戒を受けた。

さらに「財新」の記者は病室の李氏にインタビューしている。「ヒトからヒトへ感染することは明らかです。1月8日ごろ、私もこのウイルスの患者の治療を行いました。当時われわれの眼科には閉塞隅角緑内障で入院している患者が1名いました。彼女はその日、体温は平常なのにもかかわらず、食欲がなかったのです。その後肺部分のCT(コンピュータ断層撮影)検査を行うと゛ウイルス性肺炎゛ということが明らかになりました。その他の数値が原因不明の肺炎である基準を満たしていたのです。当日彼女の世話をした娘さんも発熱を起こしました。これは明らかにヒトからヒトへの感染です。」ヒトーヒト感染を確認した部分である。

中国の最高人民法院最高裁)はその後、警察が李氏に対してとった行動は不適切だったとの見解を示した(「ブルームバーグ」報道)。

同日、米国では武漢市の米国人避難目的でチャーター機を計画していると発表。

 

 1月26日 上海で移動制限が出される。同日、中国国家衛生健康委員会主任が、感染力増大の傾向があり、不顕性・軽症感染者が多いことを明にした。

これに対して専門家は、ヒトヒト感染しやすいように変異したと考えられ、完全に防ぐのは不可能(河岡義裕(東大))、不顕性のまま、ウイルスを拝出の可能性(奥野吉信)