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令和2年8月18日と官邸 非常事態「4」

  <8月18日>

島しょ部の感染防げ。東京都などが医療体制が脆弱な島しょ部のでの新型コロナウイルス感染を防ぐため、水際対策を強化している。小笠原諸島行きの船では、都が乗船前に乗客のPCR検査を始めた。検査に同意した乗客に唾液による検査キットが配られる。検査は無料で都が11日から始めた。検査結果は小笠原に到着するまでの船内で分かり、陽性反応が出た人は船内の空きスペースなどで隔離し、島に到着後は自衛隊の航空機などで本土に送り返す予定だ。(日本経済新聞8月19日)

 

<<コロナの時代(朝日新聞)(7月16日)>>

 

  <官邸 非常事態「4」>

新型コロナをめぐる動き(3月16日~4月15日)

3月16日  首相、G’7で東京五輪・パラ「完全な形で実現」と説明

  19日  専門家会議、爆発的な感染拡大への警戒を呼びかけ

  23日  東京都知事、ロックダウン(都市封鎖)の可能性に言及

  24日  首相とIOC会長、東京五輪の1年程度延期で合意

  25日  都知事「感染爆発の重大局面」と言及

  26日  政府、新型コロナ対応の特措法に基づく対策本部を設置

       政府の景気判断で「回復」の文言が6年9カ月ぶりに消える

  28日  首相、減収世帯への現金給付を表明

4月 1日  首相、全世帯への布マスク配布を公表

   7日  首相、7都府県に緊急事態宣言

       政府、事業規模108兆円の緊急経済対策を閣議決定

   9日  政府と都、休業要請の対象などで合意。開始は11日

  12日  首相、自宅でくつろぐ動画をインスタグラムに投稿

  15日  公明党代表、現金給付策の変更を首相に要求

 

3月23日、小池都知事の言葉が首相官邸をゆさぶった。「都市の封鎖、いわゆるロックダウンなど強力な措置をとらざるを得ない状況が出てくる」小池氏はこの日突如として記者会見を開き、「今後3週間がオーバーシュート(患者の爆発的急増)への重要な分かれ道」と危機感をアピールした。安倍首相が、東京五輪パラリンピックの延期容認を初めて言及した2時間後のことだった。

 

24日、首相とトーマス・バッハIOC会長が電話協議し、五輪延期の方向性が決まると、小池氏はすかさずアクセルを踏む。

25日夜に再び緊急会見を開き、「感染爆発 重大局面」と印字されたボードを掲げた。「何もしないでこのまま推移が続けば、ロックダウンを招く」。そう語気を強めると、東京都民に対し、夜間や週末の「不要不急」の外出自粛などを要請した。

官邸は会見は把握していたが、外出自粛の要請を出すとの根回しはなく寝耳に水だった。

 

このころ、政権内では外出自粛や休業要請を伴う「緊急事態宣言」をいつ出すか、議論が続いていた。麻生副総理や菅官房長官らは、経済への影響から「判断はぎりぎりまで見極めるべきだ」と慎重だったが、首相は「できることは何でもやる」と押し切り、準備を急がせた。27日の新年度当初予算成立を待って緊急事態を宣言し、即座に「過去に例のない強大な補正予算」を掲げてアピールするというのが、首相側のシナリオだった。ところが、小池氏の「ロックダウン」発言の影響でシナリオに狂いが生じる。

 

緊急事態宣言が出ても「外出自粛」は要請に過ぎず、欧米などが行った「ロックダウン」のような強制力は伴わない。だが、国民の間では「緊急事態宣言」と「ロックダウン」を同一視する誤った見方が広がり、都内のスーパーでは食料品の買いだめなどの行列が発生した。政府はパニックにつながることを恐れた。「海外のようなロックダウンではない」と首相や菅氏が繰り返し説明する事態となり、緊急事態宣言を出すタイミングは3月末から4月7日にずれ込んだ。

 

政府と都の対立はこれで終わらなかった。休業要請の範囲についても両者の綱引きが表面化した。小池氏のプランでは理容店や居酒屋などより広い範囲を対象としていた。3日間の攻防は、政府の意見を一部受け入れつつも「都民の命を守っていくことを考えるのが私の役目だ」と終始危機感を訴えた小池氏が、最終的に押し切った。政府による都への妨害と受け止められることを官邸側が恐れたからである。

 

緊急事態宣言をめぐって相次いだ誤算。政府のコロナ対応は、このころから迷走ぶりが際立っていく。