猫と私

8月22日、飼い猫が11歳4か月で亡くなった。私はかなり落ち込んでいる。

 

始まりは、昨年の6月、持病の心臓病による血栓で倒れた。深夜にかかりつけの犬猫病院に連絡、かけこんで血栓を溶かす薬を注射してもらい、一命をとりとめた。血栓の場所が後ろ両足で、壊死すると切断しなくてはならなかったが何とか血が通いそれも回避できた。医師によるとかなり危ない状況で、回復するのは稀な話であるという。

 

ただ、入院後の家での介護は大変であった。血が通っても、両足の機能は回復しておらず、前足2本で後ろ足を引きずるような状態であった。妻と私で交代で介護することになった。試行錯誤の結果、A4のコピー用紙に時間、水、食事内容、トイレなど介護メモを作ることで引継ぎの時に記憶漏れをしないようにした。最初のうちはトイレの補助が大変であった。腰を支えて補助するのだが、猫はプライドが高く人の手を借りるのが嫌がる。便意があればやむ得ず手をかりるが、それがないと嫌がって大変だ。トイレの時間がずれたりするので引き継ぐ時に記録が必要になる。9月になると、後ろの片足が動くようになったが、後ろの両足が回復したのは11月の中旬だ。これでトイレの介助はいらなくなった。

薬は血液をサラサラにするものと以前から飲んでいた心臓の薬などで朝、夕2回飲ませていた。朝はカプセルに入れてもらい、妻と二人かがりで飲ませていた。病院の医師と違い素人は薬やりが難しい。試行錯誤と医師のアドバイスからカプセルを挟んで口の奥に運ぶ器具を使い、私が頭を押さえ、妻が注射にいれた流動食を口から流し込む隙にカプセルを押し込むやり方に固まった。それでもタイミングが悪いとカプセルが口から飛び出す。毎日やったがやっと1回でできる日が多くなったが、最近でも時々失敗をしでかしていた。

こんな状況だから、昨年の6月は9月に夫婦で北陸に旅行するスケジュールを立てていたのを中止し、それ以降は年に3回ほどしていた旅行はできなく、夫婦とも旅行については考えないことにしていた。

 

猫本人もそれ以外につらい状況だった。後ろ足が動かなかったので、床で足を引きづっていた。血の通いが十分でないことから、傷となりなかなか治らない。手当を病院でしても傷口をなめるので、頭からかぶる服、スーツと言っていたが、これを昨年の7月から11月まで着ていた。最初はいろいろ試したが、通販をみるとそこにはいろいろな服があり、最終的にはそこから数着選んだ。しかし、本人は夏は暑かっただろう。

 

それが一段落すると、3月ごろから腹に血腫ができた。内臓の中ではなく、皮膚との間にできたのだ。一般にこの種のものは打撲でできるもので、血の止まりにくい薬を飲んでいるので血がにじみ出たものだということになった。この時期は両足も回復し少しの高さならジャンプもできるようになっていた。時々ソファーに飛び乗るときに失敗し腹を打つようだった。それでそれが原因ということで、患部を圧迫させることで自然に吸収していくという治療方針が決まった。それでガーゼの塊を腹に押し付けることにし、それを固定するため腹に包帯を巻くことにした。ずれないように、足の付け根も包帯を巻く形で、お尻を出す形の大きなパンツのような包帯で固定することになった。

またまた、窮屈なことになった。これは最期までつけていた。しかも夏に入ってもである。

 

最期はあっけなかった。8月17日毛玉を大量に吐いてから、体調が急に悪くなった。後で分かったが、心臓肥大の持病もちには激しい咳込は不整脈を起こしやすいとのことだ。これによって血栓が内臓にできた。食欲が急になくなり、息が荒くなった。

18日には血液検査で貧血ということで入院した。、赤血球を増やす注射を打つが効果は2週間後で、その間さらに低下したなら輸血しかないといことになった。ここまでいろいろ手を尽くしてきたので、できる限りのことをしたいと医者に頼んだ。輸血のための準備として、先生のうちに飼っている猫で血液が合う猫をしらべることをしてもらった。一匹だけ合う猫がいた。万が一の時は輸血をお願いすることにした。

21日、精密検査をしたところ、脾臓に大きな腫れがありこれが血栓でできたものかわからないがいつ破裂してもおかしくないとのこと。手術もできる体でないので、このまま様子をみることしかできない。ここで一度家に戻してやりたいということで、この日の夜に家に帰ることにした。振動がきついので、犬用のカートを貸してもらい家に連れてきた。

家に帰ってからは、すでに歩けるような状態ではなかったが床を少し這っていた。しかし食欲はない。水はほしがるがなめる程度である。夜は苦しいのか時々唸り、息は荒くなっていた。朝になると少し容態はよくなり、朝のいつもどおりの妻が抱いてのブラッシング。顔の周りだけ嫌がらないのだ。薬はカプセルと追加の薬のカプセルをやった。その後の食事タイムはチュールの3分の1程度はなめた。

しかし、トイレに昨夜から一度も行っていない。昼連絡することになっていた病院に様子を話すと、トイレは病院では1日4回していた。それは異常だからといって病院に犬のカートに乗せ連れて行った。病院では点滴を夕方までするとのことで一旦家に戻ったが、小一時間したら病院から急変したので来てほしいとの連絡があり、家族で駆け付けたが間に合わなかった。

 

退職後の3年間は家におり、猫の病気もあり必然的にその世話は妻と2人でしてきた。

とくにこの一年は最低朝夕の世話は必須であったので、私の時間は猫を中心に組み立てられていた。たまの外出の時は、前もって妻に時間をとってもらい世話を頼んだ。それが生活の一部になると人間はとくに不自由だといって悲観することもない。本人にとって、それが当たり前の生活になるのだ。それと出来の悪い世話のかかる子供ほどかわいいというがそれに近い。

結果的に、私の生活に大きな穴が開いてしまった。いつも猫はどこにいるのだろうとさがすのが、習性になったいたのが、もうしなくてもいい。朝も夜も決まった時間に薬や餌やりをしなくていい。できるだけ家で猫をひとりぼっちにしないように気をつかわなくてもいい、病院も2週間ごとに行かなくてもいい。猫のチュールや懐石カリカリ、かつおのバー、カニカマなどをそろえなくてもいい。解放感より大きな虚無感といったものか。

 

そこでこう考えた。「どこにいるか」は、ジェリー(猫の名前)は骨壺にいる、ジェリーの魂は解放された。病気がちな体から、1年に及ぶ闘病生活といえる生活から、家に閉じ込められてきた生活から、生まれて間もなく去勢された体から、解放されたのだ。ごくろうさま。またちがった命の中で生まれ変わってください。と考えることにした。

 

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<<<<<<<<<<<,猫より<<<<<<<<

 

さっそくブログに載せてもらったので、大吉が散歩に出かけ、神保町に着いたとき大吉の頭に天からメッセージとして落としたつもりだ。

 

ジェリー(猫の名前)より大吉さんへ

 

大変お世話になったなー。とくにこの一年は。やはり暑いときが鬼門だ。去年は6月の暑い夜中に倒れ、今回も暑い夏だ。心臓が悪いのは暑さがこたえる。不整脈の大吉もわかるね。それに俺は誇り高いスコティシュだ。しかしもう、この暑さともおさらばだ。

 

思えば11年前、南砂のイオンのペットショップでなかなか売れずにいた。耳はやや立っており垂れ耳が特徴のスコティシュにとって不評だったのかなー。持病もちがすぐわかり、長生きは難しいとも言われていたなー。すぐに去勢され、マンションのベランダを大脱走し数軒先の家のベランダの台の上で不安になっておいおい泣いたことを覚えている。それ以来ベランダで自由にしてもらえなくなったが。

 

2回引越して今のマンションにきたが、もう限界かなー。お互い。大吉は最後に、俺に解放されて新しい命に生まれ変わってくれ、と言ったが。その言葉そっくりあんたに返すよ。

あんたももう66歳、猫の俺は人間でいうと61歳らしいが。お互いいい年だ。

俺はこの一年ほとんど後ろ足に包帯やら巻かれ自由にならなんだ。朝夕にまずい薬を無理やりのどに流し込まれた。家の外にも出られずにいた。あんたも時間に縛られていた。いい加減これが限界だ。ここらでリセットしたいもんだ。

俺はしたから、今度はあんただ。残りの人生そうないぞ。近頃ピアノの講習もやめ、書道もやめたいようだが、ちょっと内向きになりかけているなーと俺は思う。

これを機に気をあらため、本当の退職後の再スタートを切ってほしい。これが俺に出来ることだ。

長い間本当にありがとう。わすれないぞ。そのうちまた違った形であおうぜ。またにゃー。